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HOME記事㉓「笑い」と「嗤い」(H29.9.26)

㉓「笑い」と「嗤い」(H29.9.26)

 ある市で開かれた人権フェスタ講演で、落語家の“露の五郎”さんが話された内容の一部を紹介します。

 

 「こんにちは五郎です。常日頃、テレビやラジオで顔や声だけはご家庭の方に配達させていただいてますが、なまは、こんなんです。どうぞよろしゅうに…。」で始まったお話は…。

 『以前、札幌の講演が終わって、大阪に帰る日の朝、脳卒中で倒れました。

 このとき、命の大切さ、お医者さんにとっては患者は一つの命、だれの命も同じに大事なことが人権、一つの命が一人の人間なんだ、これが基本的人権なんだなというのがつくづく分かったんです。人権の大切さは、命の大切さなんです。命の大切さはみんな同じなんです。

 「わらい」は人間だけに与えられた特権なんです。他の動物はわらいません。泣くのはどんな動物でも泣(鳴)きます。人間は目から涙を流して泣く。その人間だけに与えられた「笑う」ということが、日本人は非常にへた。これなんです。

 「わらい」というのは、ほんまは2種類あるんです。「たけかんむり」の下に「ノ」を書いて大を書く『笑う』、この笑いともう一つ「くちへん」の『嗤う』。

 この『笑う』と『嗤う』は大きな違いがある。

 『笑い』はおおらかな笑い。これはもともと「たけかんむり」の下に「犬」を書いた。この字は、弘法大師がおつくりになったんです。あるとき、弘法大師がまちを歩いていると、竹かごがちょこちょこと歩いてきた。なんやろかなと思うと、竹かごの下からかわいい子犬がでてきて、ああそうか、これは可笑(おか)しいとお笑いになった。水墨画の画題にも“笑い犬”というのがあります。

 この『笑う』はおおらかな笑いなんです。人間の本能の愉快な笑い。

 「くちへん」の『嗤う』は、罰のわらい。子どもの頃、親から「人様に嗤われんようにしなさい。」と言われませんでしたか?その『嗤い』。昔の借金の証文にも、返せへん時は市中から嗤いものにするというのがあったんです。

 『嗤う』の漢字を使わなくなって、健康な笑いも、不健康な嗤いもいっしょになってきたんです。おかげで、『笑い』が悪い印象になった。私らの笑いの文化そのものも、一段低く見られていたんです。…』

 『笑い』を通して人権を語った“露の五郎”さん。

 この講演で伝えたかったのは、「笑うのは楽しいけど、嗤われるのはだれだっていやだよね。人を傷つける嗤いをしていないかどうか、気をつけないといけないよ。」ということも含まれていたのではないかと思いました。                   副村長:森重俊幸

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