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地域の宝

栄村内に存在する貴重な自然や史跡・文化財などを、地域が誇りとしてその存在価値を再認識し、保全管理・活用することへの意識付けを行うため、標柱や説明板などを設置し「地域の宝」としています。

「地域の宝」イラスト

 

「地域の宝」所在地、標柱等設置箇所一覧

 

「地域の宝」所在地、標柱等設置箇所一覧 (画像をクリックすると、写真が拡大して表示されます)
名称 集落名 内容
1.フジキの群落

フジキの群落

白鳥 フジキは水内地区のみに生えていて、全国の群生地の北限になります。白鳥の千曲川沿いに10数本まとまって群生しています。分布上貴重な存在です。

フジキの花

2.ブナ林と小道

ブナ林と小道

野田沢 栄村の自然を象徴する美しいブナ林と、その中に続く古道が訪れる人々の心を爽やかにさせるスポットです。

新緑のブナ林(野田沢・長者林)

3.秋山郷保存民家
(説明板)

秋山郷保存民家説明板

小赤沢 江戸時代の中期頃の建築物で、豪雪地帯特有の中門づくりの民家です。雪中のくらしの厳しさが仕上げた堅固な造りとなっています。保存民家を地域の歴史的文化的史跡として、理解と愛着をもってもらうとともに、観光名所のひとつとして重要な存在です。

秋山郷保存民家 秋山郷保存民家室内

4.牧之の道

牧之の道説明板

秋山郷を世間に紹介した文人鈴木牧之が歩んだ古道を復活、地域の歴史的文化的な観光名所として位置付けられます。
5.大秋山跡
(説明板)

大秋山跡説明板

屋敷 平家の落人伝説が残る大秋山村跡は、秋山で最初に人が住みついた場所ともいわれています。天明3年(1783)から始まったいわゆる「天明の大飢饉」によって8軒あった秋山村、八櫃(やびつ)村とともに全滅したといわれています。現在はその8軒の墓石が並び、毎年8月15日に屋敷地区の人々が供養しています。中津渓谷各集落を総称する秋山の名称もこの秋山村に由来しています。

大秋山跡

6.内池館跡

内池館跡

志久見 市河氏は信越国境付近のこの地を治めていた豪族です。この館跡は、この市河氏が築いたものとして知られています。
市河氏は甲斐市川郷の出身で鎌倉時代に中野氏から志久見郷を手に入れてこの地を治めました。戦国時代には当主市川藤若(市河房幸)は、武田氏に仕えました。市河氏は、武田氏滅亡後は上杉氏に仕え、会津、米沢へと移住、明治維新後は北海道へ移住したと伝えられています。
7.ブッポウソウの森

ブッポウソウの森

平滝 この地区には、長野県天然記念物に指定されている「ブッポウソウ」の営巣地のひとつがあります。地元の愛鳥家らが巣箱かけなど保護活動に積極的に取り組んでいます。
8.カタクリ街道

カタクリ街道標柱

長瀬 栄村の花である「カタクリ」の群生地の保護保全に長瀬集落で取り組み、開花時期(例年4月上旬~中旬)には栄村の見どころのひとつとしてその成果を上げています。

一面に咲き誇るカタクリの群落 いっせいに咲くカタクリの花

9.シナイモツゴの
棲む池

シナイモツゴ棲息の標柱

切欠堤 長野県指定希少野生動物になっている「シナイモツゴ」が生息しています。シナイモツゴは小川や集落、田畑、草地、雑木林などが微妙に組み合わさった環境で生息します。豊富な自然の貴重な資源です。

シナイモツゴと棲息する切欠堰

10.仙当城
(せっとじょう)
(説明板)

仙当城の説明板

月岡 仙当城は、戦国期に信越国境で勢力を持った市河氏によってつくられたと伝えられています。その形から武田氏の特色が随所に見られ、武田氏による改修が行われたことがわかります。市河氏は戦国末期には武田氏側についていましたが、武田氏の滅亡後は上杉方によりこの周辺が支配されて、上杉側につき、仙当城はさらに改修されたようです。この仙当城は堀が大きく、堀中へ低い土塁がある二重堀や堀中道など見事な構えで残存状態が良く、武田氏、上杉氏の改修跡を研究する上で貴重なものです。

仙当城の堀割跡
仙当城の堀割跡

仙当城の再現想像図
仙当城の再現想像図

11.北野天満宮

北野天満宮・説明板

北野 古文書によると、本社の創立は正暦4年(993)にさかのぼり、この年、北野に勧請されたのが始まりとされています。
二百余年後の文治3年(1190)には、源義経が当地を通過する際に、山上の地がすばらしい景色であるとしてそこに石柱を建て、北野神を祀って去ったと伝えられています。その後、文明8年(1467)に社殿を建立し、元禄8年(1694)には御本社と拝殿を再建、文化5年(1808)には御本殿向拝を取り付けたと伝えられています。現在は、3月25日に御戸開き、8月24日に前夜祭、8月25日に大祭、10月25日に御戸閉めが行われています。

北野天満宮社殿

12.古道
(志久見街道)

古道(志久見街道)

小滝 古道・志久見街道は中世期から使われ続けてきた道で、善光寺街道とも呼ばれ、長野市の善光寺に通じています。中世から戦国時代にかけては、村の西部・東部地区、そして野沢温泉村の大部分は市河氏によって領有され、志久見郷と呼ばれていたことから、この道は志久見街道と呼ばれていました。この廃れていた街道の補修、整備は小滝地区の人々が取り組みました。その街道をあるくことで、中世の暮らしの様子を知ることができます。また、街道沿いは希少植物の群生もあり貴重な自然環境が守られています。

古道(志久見街道)

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0269-87-3118

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